千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が、今よみがえる。
九州における卑弥呼・倭健命の軌跡 [邪馬台国・卑弥呼 その2]
九州における卑弥呼・倭健命の軌跡。
1 卑弥呼は伊万里市から新羅に向けて出港した。
まず壱岐に向けて出港した。対馬海流を考慮した出港である。
すぐ向こうは海である。
佐賀県伊万里市黒川町小黒川鎮座
若宮神社
祭神 若日孁尊(稚日女命=卑弥呼)
御由緒
「当神社は神功皇后征韓の砌(みぎり)若日孁尊の威霊を現わされし給いしにより此地◯◯に是を鎮祀給うた古社にして・・・。」とある。
日女命に稚をつけて稚日女命とし、ここでは若日孁尊としている。由緒に神功皇后が出てきているので、若日孁尊は卑弥呼である。
2 熊襲は江田船山古墳のあたりいたのではないかと思われる。崇神天皇が中山神社を拠点とされたように、平定した相手の拠点をヤマト王権の拠点とした。
柿原神社は確認できなかったが卑弥呼が拠点にしていたはずである。
四王子神社 祭神 倭健命
摂社若一皇子社 祭神 若晝女神(稚日女命)
ここでも稚日女命を若晝女神に変えている。
ワカタケル(雄略天皇)銘であると思われる。江田船山をヤマト王権は拠点とした。
3 天草の「天」は、隋書東夷伝倭国伝にある「倭王、姓は阿毎(アマ)」とある「天(アマ)」である。
路木神社より海が見える。当時はもっと手前まで海岸がきていたはずである。
海岸近くが多いので船で移動していたものと思われる。
天草市牛深の夕日
卑弥呼たちは天草市牛深にも来ていた。