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千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が、今よみがえる。

第二節 藤原氏は大陸的手法である焚書坑儒をしているが、「坑儒」について [藤原氏]

 藤原氏は大陸的手法である焚書坑儒をしているが、坑儒について、奈良時代までは以下のとおりである。
中大兄皇子と中臣鎌足は蘇我入鹿天皇(蘇我善徳=聖徳太子)と蘇我倉山田石川麻呂を殺した。
 中臣鎌足の子の不比等は天武天皇と天武天皇の側近20人ほどを毒殺した。天武天皇の毒殺の後にも、大津皇子、草壁皇子、高市天皇、忍壁天皇、穂積天皇をを毒殺している。
 長屋王の変で、藤原氏に濡れ衣を着せられて長屋王一家は殺された。長屋王、正室・吉備内親王、膳夫王、桑田王、葛木王、鉤取王など。
 伯耆国の大神山神社の宮司の相見氏はアジスキタカヒコネの子孫であり、長年家系抹消を恐れてきた。家系抹消とは、嫡男家だけではなく血筋の全てを消し去るということであり、全ての男は殺される。戦後、天皇は人間宣言をし、「神」ではなくなり、もはや血脈狩りなど考えられなくなった。それでもなお、相見家は警戒を解かず、現宮司まで一子相伝の秘密を維持していた。
 現在から見れば「何でそんなに警戒するの?」といった類のことですが、当事者にとっては生死を賭けた一大事だった。恐らく、祖に近い子孫は、「全ての男子が見付け出されては殺される現場」を見ているのだと思う。血脈狩りが行われたのは、アジスキタカヒコネのいた葦原中津国の近くの法華寺畑遺跡である。
 八世紀に倭国(鳥取県中部)のあちこちでこのようなことが行われてきた。いわゆる恐怖政治である。倭国(鳥取県中部)の人間は、ここに天皇がいたことやスサノオ・大国主がいたことは話さないようになる。
 11系統あった大国主命の子孫のうちアジスキタカヒコネの系統以外の多くの系統は血脈狩りにあっている。

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