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千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が、今よみがえる。

第四節 槻下(月下)集落と斎尾(斎王)廃寺に行ってきました [伊勢野の天照皇大神宮]

   第四節 槻下(月下)集落と斎尾(斎王)廃寺に行ってきました。
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槻下神社の社叢である。

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先に見えるのが槻下本村である。

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斎尾(斎王)廃寺の案内板。
 「槻下」は「月下」であり、「斎尾」は「斎王」であった。藤原氏は日本書紀と同じように原漢字の読みと同じ読みの別の漢字に書き換えている。徐福は斎王(斎の国の王)であった。
 建立時期は白鳳時代(650年~710年)であるがいつ廃寺になったかは判らない。白村江の戦いや藤原京・平城京(奈良朝)の成立と関係ありそうである。

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 斎尾(斎王)廃寺の塔址から伊勢野方面を見る。右先に見えるのは、伊勢崎地区コミュニティー施設である。施設の下は池があるが、もとは堤である。この辺りには水田稲作に必要な小型の堤が多い。

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 周辺には伊勢野遺跡がある。伊勢崎小学校跡地も見えます。
 斉尾廃寺の仏頭はおおらかな表情である。奈良の山田寺の仏頭もおおらかな表情である。


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