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千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が、今よみがえる。

方見神社の由緒にある「外宮の月下の宮」に居たのは月読命(保食神)である [伊勢野の天照皇大神宮]

1 月読命(保食神)は伊邪那岐が北栄町原集落で禊ぎをしているときに出会った三貴神(天照大神・月読命・須佐之男)の一人であり、北栄町大島で伊邪那岐に「夜の食国を治めよ」と命じられた。天照大神は饒速日の降臨のときに伊勢野(鳥取県琴浦町)に月読命は外宮の槻下(鳥取県琴浦町)に降臨した。邇邇芸の降臨のときには伊勢神宮は鳥取県琴浦町にすでに存在していた。

2 伊邪那美からは稚産霊が生まれた。稚産霊は豊受姫(饒速日と同じく江府町江尾神社の祭神)を生んだ。豊受姫と稚産霊は饒速日と一緒に鳥取県中部に降臨して幼い天香語山の世話をしていたが、饒速日が亡くなり4歳で邇邇芸が降臨してきたので幼い邇邇芸の世話をしていた。

 猿田彦は邇邇芸を亀谷丘陵(日向)にお連れしてから、豊受姫と稚産霊を天太玉とともに琴浦町の伊勢野(伊勢)にお連れした。稚産霊と天太玉は琴浦町中尾集落の神社の祭神になっている。稚産霊と天太玉は琴浦町中尾集落に行った(中尾遺跡発掘調査報告書より)。豊受姫は月読命のいる外宮の月下(琴浦町槻下集落)の宮の度会に行った。度会とは外宮の施設の一部ではなかろうか。厨房とかで食事を作っていたのかもしれない。月読は夜の食国を治めた。

 日向とは葦原中津国のクシフルタケ(北栄町の亀谷丘陵)のことであり、伊勢とは天照大神が最初に降り立った伊勢野(鳥取県琴浦町)のことである。距離にして3.5kmくらい離れている。歩いても、1時間以内で行ける距離である。藤原氏が倭国を乗っ取る奈良時代までは、元伊勢と言えば鳥取県琴浦町の天照皇大神宮のことであった。

3 「猿田彦は邇邇芸を『日向』にお連れしてから、『伊勢』に行かれた」という文章を読んで、「まさにこれは神話だ、生身の人間にできるわけがない」と書いておられる方がいたが、この文章でいう日向とは宮崎県ではないし、伊勢とは三重県ではない、どちらも鳥取県の中部にあり歩いて1時間以内の距離にあった。天照大神(徐福)・月読命(保食神)は鳥取県中部(倭国)を終の棲家にした。扶余族(藤原氏)による地名・神社の強奪である。

 


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