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千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が、今よみがえる。

倉阪神社、神郷神社、神田神社に行ってきました [伊勢野の天照皇大神宮]

 倉阪神社、神郷神社、神田神社に行ってきました。

1 鳥取県琴浦町倉坂の倉阪神社(祭神、石凝姥命・事代主命・素戔嗚命・稚産霊命・大山祇命・豊櫛命)です。
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2 鳥取県琴浦町大杉の神郷神社(祭神、大物主命・猿田彦命・手力男命・素戔嗚命・大山祇命・金山彦命・大日孁貴命・稚産霊命・豊櫛命)です。
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 倉阪神社と神郷神社の祭神である「豊櫛命」は古事記にある「天石門別の神」である。古事記には「天石門別の神は、一名櫛石窓の神、また豊石窓の神とも言い、御門の神である」とある。豊石窓の神と櫛石窓の神の一字づつを採り「豊櫛命」とした。こうしないと、藤原氏の検閲を通らないからである。

3 鳥取県倉吉市関金町の神田神社(祭神、天照日大御神・天忍穂耳命・日子番能邇邇芸命・日子穂穂手見命・鸕鷀草葺不合命)である。鸕鷀草葺不合は日子穂穂手見のあだ名である。これも天照大神が徐福であったことを隠すための方法の一つであった。ウガヤフキアエズ朝が72代続いたとする藤原氏の創作がある。

 また、神田神社は鏡ヶ成から降りてきた饒速日たち大勢のコース上にはあるが、犬挟峠から降りてきた四歳の邇邇芸のコース上にはない。神田神社の祭神は邇邇芸ではなく饒速日であった。

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4 天孫(饒速日と邇邇芸)降臨よりも天照大神と月読命の降臨のほうが重要である。天孫降臨を古事記に記載するなら、天照大神と月読命の降臨がまっ先に記載されていなければならない。天照大神と月読命が琴浦町伊勢野と琴浦町槻下に降臨したことは倭国歴史書原本には書いてあったはずである。それを現在の伊勢国風土記や伊勢神宮の神道五部書を制作するために消している。

5 饒速日たち大勢は江府町下蚊屋に集まり鏡ヶ成から野添経由で神田神社に降りてきた。神田神社から天照大神のグループと饒速日のグループに別れた。天照大神は琴浦町の方見郷にいた建御名方に国譲りを要求し、武御雷と経津主を派遣し由良川で対峙させた。

 饒速日のグループは日吉神社から船に乗り、倉吉市の清熊稲荷神社の峰に到着した。そこで素戔嗚と出会った。天忍穂耳と猿田彦は素戔嗚から大国主が一人になったので国造りに協力してやってほしいと頼まれた。饒速日は10種の神宝を素戔嗚からもらった。天忍穂耳と猿田彦は船で北栄町の茶臼山の東の内海に至り、猿田彦は鏡で光らせて大国主に会った。


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