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千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が、今よみがえる。

第四節 百済精神を理解できない伯耆国 [藤原氏]

   第四節 百済精神を理解できない伯耆国
  秀吉は1585年に近衛前久の養子となって藤原姓となり、関白となった。藤原氏は、養子・秀吉に戦争するようにそそのかした。朝鮮出兵(文禄の役)はその7年後の1592年である。中国、朝鮮を支配し、天皇を中国・朝鮮・日本共通の皇帝にしようという思想は、藤原氏が元々持っていた思想である。第二次世界戦中の、大東亜共栄圏建設の思想でもあった。このときの仕掛け人は近衛(藤原氏)文麿である。
高江神社の由緒
 朝鮮の役で伯耆国領主の南條氏はその君臣を一人も従軍させなかった。豊臣太閤はこれを責めその封を減じた。また伯耆西三郡を割きて吉川に與へ、東三郡のみを南條領として存置した。
 伯耆国は新羅と兄弟国であり百済の精神が理解できなかった。
 ちなみに、高江神社は天正時代以前は境内神社子安神社(祭神 木花開耶比売命)が由良郷の総産土神であった。祭典の時には天正時代にできた神輿やだんじりではなく、神社総代たちは少女たちの曳く子安さんの後をついて歩く。ここに、有名な木花開耶比売命の産屋があった。「由良」とは木花開耶比売命が付けた地名だそうである。
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