SSブログ
                                                                   

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が、今よみがえる。

古事記の倭建命には卑弥呼が同行していた [邪馬台国・卑弥呼 その2]

​ 1 古事記の抜粋
 天皇は「西の国に、熊曾建という者が二人いる。彼らを殺せ」と命じた。そこで叔母の倭比賣命に女性の衣裳を借り、叔母の着物を着た。そして都に帰る途上、山の神、川の神、穴戸の神たちをみな平定して帰った。
 天皇は「東方十二道の荒ぶる神たちと、まつろわぬ者たちを言向けてこい」と命じた。叔母の倭比賣命に「父は私を早く死なせたいと思っているんだろうか。」と言って、泣き憂えた。倭比賣命は彼に草薙の剣を与え、また一つの嚢を与えて、「緊急のことが起きたら、この袋の口を開けなさい」と教えた。相模国に到った時、その国造が彼を騙して、「沼に住む神は非常に荒れ狂う神で困っております」と言った。そこでその神を見ようと野に入ったとき、その国造は野の周りに火を着けた。刀で身の周りの草を切り払い、それに倭比賣命にもらった燧石で火を着けて、迎え火で火を避けた。帰って来ると、その国造たちを斬り殺し、火を着けて焼いた。それでその地を今でも燒遣という。
 さらに道の奥に入り、荒ぶる蝦夷たちを退治し、山河の荒ぶる神たちを平らげて、都に還る時、・・・そこでその国を「あづま」(関東)と言う。
 その国を越えて甲斐(山梨県)に出た。そこで酒折宮(山梨県)にしばらく滞在し、歌って「新治(茨城県)、筑波(茨城県)を過ぎて、幾夜寝たことだろう」。
 その国から科野の国(長野県)に越え、科野の坂の神を退治し、尾張へと帰り着いた。
 
2  「 」は古事記で倭建命が訪れた地名であり、右は稚日女命(倭姫命)を祀る神社。
「熊曾」 熊本県玉名郡南関町四原 柿原神社(熊襲の比定地)
 (近くにワカタケル銘の鉄剣)熊本県玉名郡和水町  江田船山古墳
「蝦夷」 岩手県胆沢郡金ケ崎町大字永栄字飛鳥田後 永岡神社
     福島県郡山市安積町荒井字萬海 柴宮神社
「新治」 茨城県水戸市元石川町 手子后神社
「筑波」 茨城県つくば市筑波 筑波山神社摂社稚日女神社
「あづま」 栃木県栃木市平井町 大平山神社摂社機織姫神社
    群馬県群馬郡榛名町下室田 大森神社
    埼玉県鴻巣市大間 大野神社(近くにワカタケル銘の鉄剣)
       千葉県成田市船形 麻賀多神社
    東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎 狭山神社
    神奈川県座間市栗原中央 栗原神社
    神奈川県伊勢原市三ノ宮 三宮比々多神社
    神奈川県伊勢原市神戸 木下神社
    山梨県西八代郡六郷町鴨狩津向 城山神社
「科野の坂の神」  長野県駒ケ根市上穂栄町 三和社
        長野県飯山市大字緑字塩辛 布施田神社 
「尾張」  愛知県名古屋市中区大須 日出神社
    愛知県一宮市千秋町芝原字石原 生田神社
    愛知県日進市大字本郷字宮下 白山宮摂社香良州社
    愛知県岩倉市下本町下市場 神明生田神社
    愛知県東海市加木屋町宮ノ脇43 熊野神社摂社香良州神社
その他 新潟県 1社
    石川県 3社
「筑紫の末羅縣の玉嶋の里」 佐賀県伊万里市黒川町小黒川405 若宮神社 (卑弥呼はここから出航した)
    長崎県壱岐市郷ノ浦町田中触 天手長比賣神社(新羅に行くときの通過地点である)

3 私見
  倭建命は倭姫命に女性の着物と草薙剣を借りた。一緒に行動していたから借りることができた。熊本県に行って、今夜の宴に女の着物がいるからといって三重県の伊勢神宮まで帰らない。野火を着けられるから刀で草を切り払い迎え火をつけることになるのを事前に知って準備することは不可能である。これも倭姫命が一緒にいたからできたことである。
 また、叔母と甥の関係ではなく、姉弟の関係であった(別稿「孝霊天皇一族について」を参照されたし)。二人の行動範囲はほぼ一致する。西は「熊襲」倭建命・「熊本県」倭姫命(稚日女命)、東は「蝦夷」倭建命・「岩手県」倭姫命(稚日女命)である。








nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。