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千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が、今よみがえる。

鳥取県神社誌に見る倭の大乱に関係すると思われる祭神 [倭国大乱の原因]

  鳥取県神社誌に見る倭国大乱に関係すると思われる祭神

1 大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)
〈鳥取県東部〉
 孝霊天皇は因幡国にもいた。但馬に疎開してから11年後、反撃を開始して陣取った場所と思われる。
 久多美神社 現住所 鳥取市河原町谷一木947
 都波只知(つばいち)上神社 現住所 鳥取県鳥取市河原町佐貫511  
〈鳥取県西部〉
 西伯郡・日野郡はどちらも出雲国と接している。
 高杉神社 西伯郡大山町大字宮内字早稲ノ上
     現住所 西伯郡大山町宮内
 楽楽福神社 西伯郡東長田村大字中
      現住所 西伯郡南部町中(篠相)
 楽楽福神社 西伯郡尚徳村大字上安曇字宮ノ谷
      現住所 米子市上安曇
 山田神社 日野郡日光村大字杼原字村屋敷
      現住所 日野郡江府町杼原
 楽楽福神社 日野郡溝口町大字宮原字宮ノ上
      現住所 西伯郡伯耆町宮原
 楽々福神社 日野郡日野上村大字宮内字東宮ノ廻り
 楽々福神社 日野郡日野上村大字宮内字西馬場ノ筋 
 菅福神社 日野郡黒坂村大字上菅字宮本
 日谷神社 日野郡山上村大字笠木字足羽
 佐々布久神社 現住所 安来市広瀬町石原
2 倭建命を祀る神社
〈鳥取県東部〉
 武王(倭武王)大明神と称していた神社
 古市神社(武王大明神)  現住所  鳥取市古市657
 安富神社(武王大明神)  現住所  鳥取市天神町
 神護神社(武王大明神)  現住所  鳥取市国府町神護675
 面影神社(武王大明神)  現住所  鳥取市正蓮寺192
 禰宜谷神社(武王大明神)  現住所  鳥取市祢宜谷227
 細川神社(武王大明神)  現住所  鳥取市福部町細川350
 恩志呂神社(武王大明神)  現住所  岩美郡岩美町恩志95
 杉森神社(武王大明神)  現住所  鳥取市下砂見530番
 宮小谷神社(武王大明神)  現住所  鳥取市用瀬町赤波2441
〈鳥取県中部〉
 今泉神社 鎮座地 東伯郡旭村大字今泉字上ノ山
  祭神 日本武尊
 中田神社 鎮座地 東伯郡安田村大字尾張字家の上
  祭神 日本武尊
〈鳥取県西部〉
 阪本神社  鎮座地 米子市長田字長砂
  祭神 日本武尊
 宗形神社  鎮座地 西伯郡成実村宗像
  祭神 日本武尊
 熱田神社  鎮座地 西伯郡幡郷村大字大殿字矢口
  祭神 日本武尊
 一ノ具神社  鎮座地 日野郡二部村福岡字鑪ヶ谷
  祭神 日本武尊 
 菅福神社  鎮座地 日野郡黒坂村大字上菅字宮本
  祭神 稚武彦
 菅沢神社  鎮座地 日野郡大宮村大字菅沢字秋原
  祭神 稚武彦
 湯谷神社  鎮座地 日野郡多里村大字湯河字岩田
  祭神 倭武命
 楽々福神社  鎮座地 日野郡日野上村大字宮内字東宮
  祭神 若建日子吉備津日子
 楽々福神社  鎮座地 日野郡日野上村大字宮内字西馬場ノ筋
  境内神社 祭神 稚武彦
3 伊福部氏系図第十四代  武牟口命
虫井神社  現住所  鳥取県八頭郡智頭町大呂967
多加牟久神社  現住所  鳥取市河原町本鹿387
4 稚日女命(日女命=倭迹迹日百襲姫命・孝霊天皇の皇女)、(神)倭姫(比女)命、若日孁神 
  西伯郡と日野郡は出雲国と接しており稚日女命・(神)倭姫(比女)命・若日孁神は倭国大乱を終結させるため讃岐から来たと思われる。(以下は大正時代まで存在した神社)
(1)稚日女命
  折井神社    岩美郡成器村大字新井字宮の谷
 倭迹迹日百襲姫命が但馬国に逃げる途中に寄ったと思われる。倭迹迹日百襲姫命は孝霊天皇に遅れて皇居のあった湯梨浜町宮内を出た。香川県の水主神社の記録に「7歳のとき都において塵に交なく人もなき黒田宮を出られ・・・」とある。
 平岡神社 西伯郡淀江町大字平岡字向山
     現住所 米子市淀江町平岡
 富岡神社 西伯郡高麗村大字妻木字山根
     現住所 西伯郡大山町妻木
 前田神社 西伯郡庄内村大字古御堂字於局
     現住所 西伯郡大山町古御堂
 古林神社 西伯郡名和村大字加茂字以屋谷
     現住所 西伯郡大山町加茂
 前田神社 西伯郡法勝寺村大字西字宮ノ前
     現住所 西伯郡南部町西
 岩崎神社 日野郡多里村大字湯河字宮ノ前
     現住所 日野郡日南町多里
 吉原神社 日野郡日光村大字吉原字牛王ガ市
     現住所 日野郡江府町吉原
 大原神社 日野郡八郷村大字大原字貝市
     現住所 西伯郡伯耆町大原
 安屋咩神社  安来市赤江町400 
(2)(神)倭姫(比女)命
 天萬神社 西伯郡手間村大字天萬字下宮尾
     現住所 西伯郡南部町天萬
 高野女神社 西伯郡賀野村大字高姫字高ノ女
     現住所 西伯郡南部町高姫
 蚊屋島神社 西伯郡日吉津村大字日吉津字南屋敷
     現住所 西伯郡日吉津村日吉津
(3) 若日孁神
 五郷神社 東伯郡旭村大字牧字家ノ上
 福田神社  岡山県真庭郡八束村中福田

稚日女命.jpg 
※ 私見
(1) 鳥取県神社誌で稚日女命と(神)倭姫(比女)命を祀る神社は13社あるがそのうち10社は妻木晩田遺跡周辺に集中する。孝霊天皇は岡山県側から来たとする説があるが、この稚日女命の動きを見る限り妻木晩田をねらって東側から来た。妻木晩田を攻撃する時に孝霊天皇は大山町宮内の高杉神社にいた。
 出雲神族は妻木晩田の西に逃げ、南部町の手間山に逃げ込んだ。手間山の周囲3か所を稚日女命は包囲しているので手間山での攻防は激しかった。原古事記には手間山での戦いのことも書かれていたはずだが、藤原氏は欠史8代の旧辞を消して、手間山での大国主の赤猪伝説を創作した。
(2)赤猪岩神社の由緒には、「手間山鎮座の赤猪神社(祭神は大穴牟遅と刺国若比売)を大正11年に合併した」とある。大国主の母親は稲田姫であり刺国若比売ではない。刺国若比売は架空の母であり、その架空の母を祀っている赤猪神社は藤原氏によって創られた。
 古事記に「八上姫と婚約が成立して、大国主が兄の八十神にいじめられて木国の大屋彦のいたところに逃げた」とあるが、私見では木国の大屋彦のいたところは鳥取県智頭町大家神社であり、いじめられた場所も鳥取県東部であった。その後、津山→蒜山→倉吉の父のいる清熊稲荷神社にやってきた。津山市の中山神社に大国主がいたという伝承があり、蒜山にも10歳の大国主がいたとする伝承が残っている。蒜山高天原ロマンの会の会長はこの伝承を不思議がっていたが、私は「正しい伝承」と答えた。
 そして根国(倉吉市)での冒険と続く。大国主の話は鳥取県東部と中部で完結しており、南部町手間山での話は倭国大乱の激戦地を消すための創作であった。近くに倭国の伝承を消すための春日神社と八幡宮がある。

IMG_0129.jpg

 赤猪岩神社の案内板には「大穴牟遅神は真っ赤に焼いた石を抱いて焼け死んだ。キサ貝比売とウムギ比売は貝殻を削った粉を母乳のように練って塗ったら大穴牟遅神は蘇生した。その岩は2度と掘り返されることがないように土中深く埋められ、大石で幾重にも蓋がされ、その周りには柵が巡らされている」とある。
 掘っても無駄だと書いてある。そのような岩はないからである。おそらく地球の裏側まで掘ってもないと思われる。死んで蘇生するなどという話は青木繁の絵もあり面白いが創作であっった。
(3)鬼住山を攻めるときに孝霊天皇と稚日女命(日女命=倭迹迹日百襲姫命)は鬼住山の奥の日光村栃原と吉原にいたが、鬼住山の戦いより南部町手間山での戦いのほうが激しかったと思われる。
 倭国大乱において南部町手間山で戦いがあった。その時、孝霊天皇は米子市上安曇の楽楽福神社と南部町中(篠相)の楽楽福神社にいた。特に南部町中(篠相)の楽楽福神社の地では、手間山から出雲神族(準王一族)が逃れてくるのを待ち受けたと思われる。
 倭国大乱で手間山には出雲族(準王一族)が立てこもっていた。大国主の兄の八十神も出雲族(準王一族)であったから、藤原氏は大国主の赤猪岩の物語を創作した。おそらく倭建命(若建日子吉備津日子)と行動をともにしていた大国主14世孫の武牟口命も手間山の麓で出雲族(準王一族)が降りてくるのを待ち受けていたと思われる。

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