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千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が、今よみがえる。

第十一節 丹後の籠神社と新井崎神社に行ってきました [伊勢野の天照皇大神宮]

   第十一節 丹後の籠神社と新井崎神社に行ってきました。

1 彦火明命を祀る籠神社です。

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  ホホデミと天日槍は籠神社と深く関係している。前漢鏡と後漢鏡は丹波国を創建した天日槍が籠神社に奉納したものと思われる。

2 丹後の籠神社の祭神の彦火明命は本来ホホデミであった。
(1)先代旧事本紀は、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊は、亦の名を天火明命、天照国照彦天火明命、饒速日命、膽杵磯丹杵穂命という」とする。
(2) 『消された大王ニギハヤヒの謎』の著者、神一行氏は、海部宮司の言葉を、その著書の中で 「『籠神社』の主祭神のホアカリ命には、いくつかの別名がありますが、籠神社にとってもっとも重要な別名は、ヒコホホデミ尊です。籠神社は、養老元年(717)までは、主祭神として、ホホデミ尊を祀っていましたが、その後はわけあって、『海部氏本紀』の始祖・ホアカリ命として祀っております。」とある。これは、ホアカリは、本来「ホホデミ」であったということである。
(3) 私見
 特選神名牒における松山市の国津比古命神社の祭神は櫛玉饒速日尊であり天照国照彦天火明が付いていない。本来天照国照彦天火明と櫛玉饒速日尊とは別神であり、一つにされたのは後世である。
 丹後周辺は浦島太郎伝説があり、山幸彦(ホホデミ)と関係が深い土地柄である。山幸彦(ホホデミ)なら海神とも関係が深く、海部宮司のいうように「彦火明命は本来ヒコホホデミ尊であった」というのは信用できる。
 丹後の籠神社にホホデミと天日
槍は来たが天照大神と饒速日は来ていない。

3 徐福が上陸したという伊根町の新井崎神社です。

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 説明板によると、神社の創建は長徳四年(998年)。場所は今の愛宕さんの付近だったが前を通る船に異変が続いたため、神意に逆らうとして現在のところに移し、南向きを東向きに変え建てられたという。

 徐福上陸の地とあるが、丹後に上陸したのは全国に30ほどある徐福伝説の地と同じく、徐福の部下であった。

4 「火」のつく神は木花佐久耶姫が燃やした産屋から出てきたので「火」の字を付けられた。「火」のつく神は本来、木花佐久耶姫の御子である。木花佐久耶姫の御子でない「火」に関係のない神に「火」がついているのは藤原氏による改ざんと思われる。


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