千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が、今よみがえる。
根国での冒険の舞台は鳥取県倉吉市余戸谷町の清熊稲荷神社であり、第2代綏靖天皇の皇居は鳥取県北栄町曲の岡神社であった [神武天皇と欠史八代]
根国での冒険の舞台は鳥取県倉吉市余戸谷町の清熊稲荷神社であり、第2代綏靖天皇の皇居は鳥取県北栄町曲の岡神社であった。
1 根国での冒険の舞台は鳥取県倉吉市余戸谷町の谷田神社である、としていたが、谷田神社の痕跡が見つからない。鳥取県神社誌(昭和9年発行)には載っているので、合併(明治時代)までは存在していたはずである。山の周りを廻っても見つからないので、八幡神社の宮司に聞いたところ「 清熊稲荷神社の登り口の5~6軒家があるあたりではないか」という。しかし、祠も何もない。ひょっとしたら、宇迦之御魂命は稲荷神だから現在の清熊稲荷神社ではないのだろうか、と思い上がってみることにした。
この丘陵地の一等地にあった。八幡神社よりもずっと古いのだから一等地にあっておかしくない。
鳥居はこの冬に倒れた。神社庁の管理する神社ではないので修理する予算もないのだろう。
だいぶ上がったがまだまだである。右が泊瀬の山(打吹山)である。
右から上がってきてまだ左に上がっていかなくてはならない。石段も掃除されてなく、落ち葉で見えないくらいである。
宇迦之御魂命(須勢理姫)は稲荷神だから狐である。
かなりの荒廃ぶりである。
家が何軒でも建てられるような広さがあった。蛇もムカデも出そうなところである。
2 第2代綏靖天皇の皇居・葛城高丘宮(古事記では葛城高岡宮)は奈良ではなく、鳥取県北栄町曲の岡神社であった。
奈良県御所市葛城古道にある第2代綏靖天皇の皇居・葛城高丘宮の石碑である。
ここのテーマパークの名前は藤原氏が占領してから「葛城」と名付けられた。じつは「高岡」が本当であったが「高丘」に直している。 千の嘘のうちのほんの一つである。
葛城古道に石碑があるだけである。
左の農道は近年になって作られたものである。それまでは家々の人に見られながら、この坂道を上がらなければ、岡神社に行くことはできなかった。
この細い坂を上がっていく。
左右の家が葛城高岡宮の守りをしていた。
両サイドの家々に見られながら、まだ左にうねうねと上がっていく。
こんなところに神社があるとは気づかないようなところである。
神社の右下に先ほど通ってきた集落がみえる。
岡神社とある。
3 私見
第2代綏靖天皇の時代はまだ準王一族と抗争していたときであり、神武天皇四兄弟のいた大谷集落や神武天皇の皇居があった大宮集落と同じく、外敵からの守りを厳重にする必要があった。